かけがえのない友人です

ガチマイおばさん

2024年12月21日 07:19

もう数年前の事です。
辺野古に新基地が出来るという事で、多くの人がゲート前で抗議活動をしていましたが、私には関係ないと思っていました。
ある婦人団体の全国交流会が名護であり、知人から、沖縄料理と会場の手配を頼まれ、お手伝いをしました。
そこで講演した高齢婦人の島袋文子さんに出会いました。
「私は血の水を飲んで、生き延びた」という沖縄戦の経験談に驚愕し、戦争の脅威を感じました。
それからです。
聞かれれば反戦・平和と言いながら何もしていない自分がいることを反省し、辺野古にも足を運び、島袋文子さんと戦争の話だけでなく、今までの色々な生活について教えていただきました。
彼女は丁度、時期が時期、学校に行ってないと言いながら、読み書きは当然、英語も話す文子さんでした。
無くなったご主人から、毎晩新聞を読みながら文字を学び、生活の為に基地で働いたようです。
その後、辺野古にヘリポートが出来るという事で、もう新基地はいらないと、立ち上がったようです。
それから30年、「生きている限り、戦争につながるものに反対していく」そんな信念で、今も活動しています。
私は度重なる病気や怪我で辺野古や平和運動から足が遠のきましたが、咎めるどころか、無理をしなくてもいい、出来ることをすればいいと言われました。
今でも私を案じ、95歳((?)の彼女が電話をくださいます。

当時を思い出し、写真を探しました。
今は無き樹木希林さんとの写真、撮ったのは私です。


しかし、私と文子さんとの写真は一枚も有りません。
昨日も気になってと電話が有りました。
時の流れを感じましたが、私を友だちだからと声掛けしてくれる優しさ、リスペクトです。
近日中に彼女を訪ね、おしゃべりをして写真も撮ろうとおもいます。

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